• たちばなふみ

長崎に原爆が落とされて77年

8月9日 長崎に原爆が落とされて77年

NPT再検討会議も開催中の中 ロシアは3日間連続でザポロジエ原発を攻撃しました。本当に信じられません。

長崎市長の平和宣言は素晴らしいものでした。 ロシアによる核兵器をつかった脅しは 「世界に核兵器がある限り、人間の誤った判断や、機械の誤作動、テロ行為などによって核兵器が使われてしまうリスクに、私たち人類は常に直面しているという現実を突き付けた」 「核兵器によって国を守ろうという考え方の下で、核兵器に依存する国が増え、世界はますます危険になっています。」

「存在する限りは使われる」 「核兵器をなくすことが、地球と人類の未来を守るための唯一の現実的な道だということを、今こそ私たちは認識しなければなりません。」

戦争しないと決めた憲法を持つ国として日本はリーダーシップを、そして私たち自らが「戦争はダメだ」と声を上げることが重要と。高校生平和大使の合言葉「私たちは微力だけど無力じゃない」を平和を求める私たち一人一人の合言葉にとよびかけました。

長崎におとされた原爆は、小倉に落とされる予定でした。 小倉上空が曇っていたために投下できず長崎に落とされました。 私の父は小倉の向かい下関出身で当時は生後数か月。もしも予定通りだったら私は生まれていなかったかもしれないと子どもの頃から身近に感じてきました。 20代の頃、朗読劇「この子たちの夏ー1945・ヒロシマ・ナガサキ」に参加したのはそんな背景もあり語りついで行きたいと思ったのでした。

広島、長崎両市長の平和の誓いは、核抑止力の無力さ、核兵器は人類と共存できないことを示しています。 世界中の同じ思いの方とつながりあって核兵器のない世界のために私も力を尽くします。

※写真 松江で生まれた永井隆博士が長崎医科大学で被曝し書かれた救護活動報告が「この子たちの夏」劇中でも語られます。その後詳しく救護の様子や経過を書かれた「長崎の鐘」。浦上天主堂の写真です。



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