• たちばなふみ

沖縄返還50年 基地のない平和な沖縄を!

「1964年アジアで最初のオリンピックが東京で開催され、日本中が沸き返っていた。一方東京から1500キロ離れた米軍統治下の沖縄では連日連夜ヴェトナムへと飛び立っていくB52の爆音の下、風疹はまたたく間に沖縄全土へと拡がっていた」

私が中学1年生の夏休みに出会った「廃校の夏」という実話の物語。読書感想文の課題図書の一つでした。在日米軍から拡がった風疹にかかった妊婦たち。沖縄ではその年障害児が500人産まれ、難聴の子が多数をしめていたといいます。こうして生まれた聴覚障害児たちのためにできたろう学校、その子たちが高校生になり甲子園をめざす物語です。その子たちの卒業と共に学校は廃校となりました。

どうして日本にアメリカ軍の基地があるのか。二度と戦争しない、陸海空軍をもたないと約束した日本になぜ。中学生の私には本当に衝撃でした。

そして私が高校生の時におきた、米軍の兵士による金武町での小学生集団拉致暴行事件 8万5千人が集まった抗議の県民大会で私と年の変わらない少女が訴えていたのを忘れることはできません。 「軍隊のない、悲劇のない、平和な島を返してください」

どうしたら軍隊をなくせるのか 人の尊厳が何より大切にされる日本にどうしたら近づけるのか

大学で政治学を選択した私は、「戦争」と「平和」について考えたいと「戦後日本における沖縄と日米安保条約」について学びました。

医療生協に就職後、5日間の沖縄平和ツアーに参加させてもらい、南部戦跡から伊江島、読谷村レーダー基地、安保の見える丘、辺野古の座り込みテントなどへ行きました。

私の住む八束町は上空が自衛隊の航空演習の軌道になっており、轟音の下で幼少期を過ごしました。小中学校の窓ガラスは全て分厚い防音ガラス。上空をとばれるだけであの轟音。沖縄の基地のすぐそばに住む人たちはどんな思いだろうか。幼いころ何度も飛行機の落ちる夢を見ました。沖縄の基地周辺は実際にその危険ととなりあわせ。不平等な地位協定のもと沖縄で繰り返される米兵による犯罪。沖縄の負担を軽減することにはまったくなっていない辺野古への県内移設。

そしてなくならない犯罪、性暴力。

2016.6.19付け沖縄タイムス 2017年に沖縄を訪れた際、不屈館だったと思いますが、手に取れるように置いてありました。 沖縄で米兵による事件を一覧にした全面記事です。涙なしには読めません。私は学習会などで皆に読んでもらいました。

「幾多もの沖縄県民の命と尊厳が、米軍基地や軍隊の存在ゆえに踏みにじられてきた。 この年表に刻んだのは氷山の一角。 表に出た戦後の「強姦殺人」「殺人」「交通事故」「強姦(未遂含む)に限り、さらに1972年の本土復帰後は主な事件事故のみだ。 背後には、さらに無数の涙がある。 目を覆いたくなるほどのむごたらしい犯罪があった。」

復帰50年  日本国憲法のもとに帰るのだ という沖縄の人々の思いを踏みにじった本土復帰。 そして現在、県民が何度も拒否している辺野古の工事は続けられ、離島や奄美にさらに自衛隊の基地をも作ろうとしています。

沖縄 そして日本を  基地のない 平和な島にしたい それが私の願いです。



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