終戦の日にあたって
「あなたが大切にされる政治を」が 私の政治信条です。
これは、戦争の反省のもとにつくられた日本国憲法、個人の尊厳を最大限尊重する、そして二度と戦争しないという日本国憲法を全面的に実現したいという思いをこめたものです。
私の祖父は中国で終戦をむかえ、生きて日本に帰り、祖母と結婚して母が生まれました。 祖母は終戦当時18歳、戦時中は、今も暮らす大根島でも空襲がありました。 対岸の美保基地が狙われ、数キロしか離れていない大根島にも、爆弾が落とされたのです。 祖母は、「人参畑の陰にとっさに隠れた」と語ってくれました。年を経ても、自衛隊の訓練機の音に、その時のことをいつも思い出すそうです。
そんな戦争体験を語ってくれる人たちも高齢となり、亡くなられていっています。 大根島でも、戦争に送った我が子を岸壁で待ち続けた母の話、父や兄弟を戦争でなくした方、女学校にあがっても、勤労動員で、縫製工場で働いていた話をきいています。 私は広島の原爆の被害や戦争体験を語りつぐ劇に参加してきましたが、身近なお祖母さんたちの戦争体験も受け継いでいきたいと思っています。
今年は8月5日と9日に、西尾幸子さんの戦争体験を語る朗読劇「さあちゃんとヒロシマ」に読み手として参加しました。
「原爆が落ちたあと、十日もたたないうちに戦争が終わることも知らずに 13歳で死んでいった わたしの友だち 生きたくても生きられなかった わたしの友だち」へ 「わたしは生きのびることができたから もう二度とあやまちがくりかえされないよう 命のあるかぎり 話しつづけます」 「どんなことがあっても 絶対に戦争はダメ 核兵器はいらない」 「人間が人間らしく あなたがあなたらしく 生きられるように」
西尾さんの思いに 私の思いも重なります。 「新しい戦前」にしないために、そして人間らしく暮らせる「住み続けられる」まちをめざして。 土台は「平和であること」と、気候危機から暮らしを守ること、そして原発を動かさないということです。
本当に命と暮らしをまもる政治を、みなさんと一緒に実現していきたい そのことを改めて、終戦の日に誓います。
Commentaires